ひきこもり
今日は一日中引きこもっておりました。
昨晩机で本を読んだまま寝てしまい、身体がカチカチだったのも少なからず影響をしていたのかも。
今回は二冊の本について書きたいと思います。
池上嘉彦/山中桂一/唐須教光「記号論ー言葉のコードと文化のコードー」
Twilogによると10日ほど前に買ったらしいのですが、論文独特(らしい)表現に振り回され…。曰く、「文章を書くプロではないのだから読みにくくて当然」だそうで。
今回読むにあたって苦労したのが、おおよそ三分の一を占める「記号としてのことば」の分野でした。正直、理解が追いつかず文字を目で追っていただけ…に近いです。再度挑まねば。
それ以外についてはおおむね楽しく読めました。
とりわけ最終章における"言語の流動性"の捉え方は、"日本語の乱れ"を鼻で笑う私としては非常に痛快に感じられました。
ただ、その一方で、本書の読解に大きく時間を割いた事は事実であり、"文学部"を志望する上で大きく自信を削がれました。
上手くやっていけるのだろうか…
ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」
今更語るまでもない名著…ですよね。ドイツ文学好きを自称しておきながら、実は読んだ事がありませんでした。お恥ずかしい。
美しい光景が迫ってくるような文章に圧倒され、前者とは比較にならない速さ、数時間程度で読み終えてしまいました。
ただその一方で、世間的に評価されている"教育の重圧"という点には「むむ?」と言わざるを得ませんでした。
勉強に打ち込まなかった(故の現状;;)私が言うのもなんですが、いくら何でも第五章〜六章にかけて、急激に批判の方へ傾くのはちょっと頂けないような。
ヘッセの半自伝的小説であることを鑑みれば、私情が多分に入っていることを納得せざるを得ませんが、もっと美しい文章でやって欲しかった!と思います。(訳の問題に非ず)
…少年同士の禁忌に、これ以上の言葉を割くのは野暮ですよ…うん、きっと。
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今年は、受験に合格するのが第一義であるのは言うに及びませんが、それと同程度に"大学に入っても恥ずかしくない教養人"になりたく思うのです。
文学部に入学したのに、教養がないのではいかにも格好がつきませんから。